研究履歴
昭和53年4月から信州大学理学部化学科無機化学研究室 森芳弘教授(信州大学名誉教授)の下で、学部4年生と研究生1年間の合計2年間、陽イオン交換樹脂を用いたアルカリ金属の相互分離について研究した。この研究では森先生が考えられたカラム法によるクロマト分離とその向流に電気泳動を併用することによって効率良い分離を目指した。同期の本多照幸(武蔵工業大学(現 東京都市大学))さんがリチウムの同位体濃縮を同様の方法で検討していました。
昭和55年4月、東京都立大学大学院理学研究科修士課程の化学専攻に入学して中原弘道助教授(都立大名誉教授)の下で重イオン核反応の研究を始めた。実験の方法などについては工藤久昭(新潟大学)さんと永目諭一郎(原研先端研)さんにお世話になりました。実験は理化学研究所の160 cmサイクロトロンで重イオン照射を行い、都立大学のホットラボにおいて化学分離を行い、γ線測定することによって核反応生成物の反応断面積を求める研究を行いました。同期の高橋正人(東芝)さんは3Heによる前平衡過程の研究を進めていました。同じく同期の三浦太一(KEK→J-PARC)さんは村松久和(信州大学)さんと一緒に研究を行い、東北大学CYRICのISOLと理研空芯を用いた研究に従事していました。
その後、博士課程に進学し中原弘道教授の下でさらに原子核反応の研究を進めることにしました。研究は修士のときにお世話になった理化学研究所の河野功博士の下で研修生としてサイクロトロンの周りに居ることができました。理研では野村亨(東大核研→KEK)さんと工藤さんの研究を手伝いながら、永目諭一郎博士が行っていた軽質量系で重イオン核反応での核分裂現象についての研究をさらに進めようと努力していました。当時一緒に研究をしていたのが金沢大学の修士終了後にこられた浜島靖典(金沢大学)さん、初川雄一(原研)さん、間柄正明(原研)さん、大槻勤(東北大学)さん達です。三浦さんは矢永誠人(慈恵医大→静大)さんと東北大学と核研空芯を行ったり来たりしていました。
博士課程が3年終わった段階で仕事が終わっていなかったのですが、野村さんが東大核研に教授で移られて、そこで核研研究員を募集していたので応募して採用され、9ヶ月間お世話になりました。このとき学振特別研究員で東北大学大学院を出られた宮武宇也(阪大→東大核研→KEK)さんと九州大学大学院から理研に研究員で採用されていた森田浩介(理研→九州大)さんと一緒になってIGISOLとGARISの開発をしていました。その時209Bi+16Oで220Pa 219Paの探索をしていましたがなかなかポジティブな結果が得られませんでした。GARISはその後、森田さんを中心にして理研のリングサイクロトロンのE1コースに設置されました。野村さんが提案した実験をその後行いました。232Thと238Uのターゲットを都立大のグループとして提供しました。平成11年にLBNLで118番元素の報告(平成14年に報告が取り下げになる)があり、その追試を世界中で行ったときにRIKENとしても行いました。その後次期加速器計画によりE1コースからRINACの後方に移動して新たに出発しています。現在はGARISの性能アップがなされGSIのSHIPと並ぶほどになり、2004年7月に新同元素113番元素の発見が行われました。現在も多くの研究が続けられています。
昭和61年1月に都立大学理学部化学科の一般化学研究室(中原弘道教授、遠藤和豊(昭和薬科大学)助教授、堀内公子(大妻女子大学)助手)に助手で採用されて、出身研究室に戻って研究と教育の仕事を本格的に始めました。
その年の4月に学部4年生で塚田和明(原研先端研)さんが入ってきて、超プルトニウム、超アクチノイド元素の化学を夢見た研究の基礎実験を始めました。その年の後半は放射性同位元素使用施設関係のトラブルで研究は一時停止状態になりました。
翌年には日大文理から進学してきた小林貴之(北里大→日大)さんと重イオン核反応による核分裂の反応機構の研究を核研SFサイクロトロンで始めました。この一連の研究は、その後、新潟大学大学院で修士を終了してきた谷川勝至(東京大学)さんと西中一朗(原研)さんががんばって研究をしました。
平成元年に核分裂発見50周年の国際会議が目白押しの中で、「常温核融合の発見」という話題が沸き起こっていました。高エネルギー実験研究室の千葉さんと物理化学研究室の藤井(島根大学)さんを中心にして都立大でも追試実験を始めました。平成2年は次の年に大学移転を迎えて雑務に追われる中で、岩井(東大大学院→宇都宮大学)さんが卒業研究で頑張って追試をしていました。移転して八王子南大沢でも宮本真哉(東芝)さんが3年間実験を継続しました。
平成4年から原研のJRR3Mにできた即発γ線分析装置を使った研究を立ち上げ4年生の小林加奈子(東電環境エンジニアリング)さんといっしょに実験をしました。この研究は佐藤渉(理研→大阪大学→金沢大学)さんの時にまとめることができました。その後、助手でこられた大浦泰嗣(金沢大→原研→都立大→首都大学東京)さんが一手に仕事に花を待たせてくれました。
平成5年、都立大で阿知波洋次、菊地耕一両先生が推し進めていた金属フラーレンの研究にグループとして参加することを決定して、修士課程に進学した小林加奈子さんを中心に放射化学的手法からのアプローチを行いました。この研究は佐藤渉さんの修士、博士でのTDPACへの応用と秋山和彦(原研→筑波大学→首都大学東京)さんの卒業研究から、修士、博士でのランタノイド、アクチノイド内包フラーレンの系統的研究まで進みました。秋山さんが作るランタノイドフラーレンを戴いてホットアトム化学の研究を進めてきました。この間に東北大核理研の大槻勤(東北大→京大原子炉)さんと桝本(東大→KEK)さんとの11Cで標識化されたC60 C70の核反応反跳による研究が大きな成果をもたらしました。また、7BeをC60に反跳で内包することに成功して、その後、大槻さんのさまざまな元素への試みが始まります。
中原研では工藤さん、浜島さん、大槻さん、趙宇亮(中国科学院高エネルギー研究所)さんが長年かかって、陽子誘起核分裂での核分裂機構の研究を進めてきました。大槻さんが原研の永目さんと池添さんの指導の下に二重速度法での核分裂片の質量分析と運動エネルギー分析から対称分裂と非対称分裂の運動エネルギーの違いを明らかにし、趙さんがそれらの系統的な解析に成功しました。その後、西中さんと新潟大大学院の後藤(新潟大)さんがさらに研究を進めています。
平成10年から永目さんが原研で先端科学基礎研究センターに超アクチノイド元素核化学研究グループを立ち上げ新潟大学理学部の工藤研、大阪大学理学部の篠原研、金沢大学理学部の横山さんと都立大学理学部の中原研が協力して研究を進めてきました。グループ内にはISOLのスペシャリストの市川進一さん、迅速化学分離装置をやっと実用化した塚田さん、トレーサーを用いた基礎データの確立と化学分離のスペシャリスト羽場(理研)さん、放射線測定と核分光のスペシャリスト浅井さんが一体化してすばらしい成果を挙げています。平成15年から新たに重元素単一原子化学研究グループとして気相系も含めて研究が進められ、平成22年M. Schädelをグループ長に新たに研究が進められています。
平成14年3月16日付けで筑波大学化学系へきました。新しく研究室を立ち上げています。関李紀先生、長島先生、笹公和さん、高橋努さんが筑波大学12UDタンデム加速器に設置したAMS装置の研究を手伝い始める。
平成15年4月1日から筑波大学アイソトープセンターの専任教員となり、関先生と入れ替わって放射線作業従事の管理業務を行い始めました。
平成18年4月に卒業研究で配属された玉理美智子さんともに本格的にAMSを用いた長寿命放射性核種の環境動態研究に着手した。天野さん、北川さん、西村さんと一緒に仕事を進めてきました。
平成22年4月1日から筑波大学生命環境科学研究科環境科学専攻の教員を兼務します。
平成23年3月11日の東日本大震災で大学等に大きな被害が発生する。東電福島第一原子力発電所で重大な状況が告げられ、12日1号機の建屋で水素爆発がおこった、14日には3号機で同様に水素爆発が起こり原子炉全体が大変な状況になっていた。アイソトープ総合センターにおいて3月15日未明から、つくばへ放射性プルームの到来を告げるモニタリングポストの変動などを観測した。エアサンプラーによる空気中の放射性核種の濃度測定などを行った。3月26日頃から放射性物質による汚染の実相を知る必要があると考えて、茨城県及び福島県で土壌試料採取を行った。これらの一連の研究には木下哲一(金沢大→KEK→筑波大→清水建設)さん、佐藤志彦(筑波大→JAEA)さんが実態を明らかにするためにサンプリング及び測定を行ってくれた。福島原子力事故に伴う放射性物質の環境への影響の研究を行うことなった。