26 Jan 2018
Vol.5 福島第一原子力発電所事故後の放棄水田土壌における放射性セシウムの下方移行
放射性物質環境移行部門の高橋純子先生にお話を伺いました。
論文の背景について教えて下さい。
2011年3月の福島第一原子力発電所事故により大量の放射性核種が環境中に放出されました。中でも放出量が多く、半減期も比較的長いことから問題となっているのがセシウム137です。
セシウム137は土壌に非常に強固に吸着します。よって、地表に沈着したセシウム137はそのほぼ全てが表層のわずか数センチ以内に存在すること、さらに雨などでは容易に溶脱せず、長期間にわたりその場に留まるということが、大気圏核実験やチェルノブイリ原子力発電所事故後の研究から明らかにされていました。そのため、今回の事故では『表土を剥ぎ取る』という除染方法が広く進められたことは、みなさんもご存知のことと思います。
一方で、私たちが事故直後から行なっていたモニタリング調査によると、森林や畑地、牧草地など対象としていた8地点のうち7地点では、沈着後2~3年が経過しても、確かに放射性セシウムは表層数センチに留まっていることが確認されましたが、放棄水田だけは明確な下方移行が認められました(Takahashi et al., 2015)※。
下方移行が進行するということは、表土剥ぎ取りによる除染の効果が減少するだけではなく、地下水など他の系に放射性セシウムが移行してしまうリスクが高まります。以前の調査では、表層10センチまでの放射性セシウムしか調べていませんでしたので、それより深い深度への移行が生じているのか、そしてなぜこの放棄水田では顕著な下方移行が生じたのかということを明らかにし、下方移行が生じやすい条件を特定したいという思いから、この調査を進めました。
※Web of Scienceにおいて,被引用数が上位1%に含まれる
高被引用文献です。
Takahashi, J., Tamura, K., Suda, T., Matsumura, R., Onda, Y., (2015). Vertical distribution and temporal changes of 137Cs in soil profiles under various land uses after the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant accident. J. Environ. Radioact. 139, 351–361. doi:10.1016/j.jenvrad.2014.07.004
福島第一原子力発電所事故後、水田を対象とした影響調査は広く行われているのですか?
福島県は米作りが盛んな県ですから、イネへの吸収抑制対策など、農業の復興という観点からはたくさんの研究が行われています。様々な努力の甲斐があり、福島県産米の全量全袋調査ではここ数年間基準値(100 Bq/kg)を超える玄米は見つかっていませんし、2017年にはその99.9996パーセントが検出限界値(25 Bq/kg)以下という結果となりました。EUが福島県産米の輸入規制を解除したことも、記憶に新しいニュースです。
ただ、この研究のように、旧計画的避難区域内にあり、管理放棄された水田を対象にその下方移行を見るという研究は他にはあまりないのではないでしょうか。
水田での放射性セシウムの下方移動について、これまでの知見を教えてください。
水田は通常、春に田起こしをして水を張り、稲刈り前に落水※1するという、非常にダイナミックな水管理を行います。水を張った後には代かき※2を行いますが、これは土壌の表面を平らにするだけではなく、作土層の下にすき床層と呼ばれる非常に緻密な層を作り、水を維持する効果があります。このような特殊な水管理・土壌管理のために、養分動態にしても、透水性などの物理的性質にしても、水田の土壌は畑の土壌とは異なる独特な性質を持ちます。ですから、当然放射性セシウムの動態に関しても畑地とは異なる可能性が考えられるものの、欧米には水田がほとんどないことからその研究は限られています。
日本では、福島事故以前にも大気圏核実験由来の放射性セシウムの水田土壌中での動態や作物への吸収、あるいは実験的に吸脱着などを調べた研究はありましたが、下方移行に関する詳細な調査はこれまで行われていませんでした。
※1落水…水田の水を抜くこと
※2代かき…田起こしが完了した田んぼに水を張り、土をさらに細かく砕き丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業
具体的にどのようにして調査したのですか?
下方移行といっても、放射性セシウムの場合はわずか1センチ動くだけでも大移動です。そのため、ミリ単位での詳細な深度分布の調査が必要になります。どのようにそれを調べるのかと言えば、単純明快で、ミリ単位で土壌を採取するのです。今回はスクレーパープレート(写真)と呼ばれる道具を用いて、5ミリ単位で土壌を採取しました。浅いところと深いところの土壌が混ざってしまうと結果に大きく影響しますから、とにかく丁寧に行います。より深い深度については、深さ1メートルほどの穴を掘り土壌をサンプリングしました。
採取した土壌は研究室に持ち帰り、γ線スペクトロメトリーによってセシウム137を定量したほか、粒径組成や透水性など、様々な土壌の物理化学性の測定を行いました。
5年にわたる調査・研究の中で大変だったことを聞かせてください。
やはり冬のサンプリングでしょうか。スクレーパーによる土壌採取は1回およそ3時間かかります。雪が積もるなか、行なったこともありました。そして、こんなに下方移行が起こるなんて思ってもいなかったことだったので「なぜ??」と混乱しました。除染があることは分かっていたので、もっと早くそのメカニズムに迫る研究をしなければいけなかったのですが、結局決定的なことを証明できなかったことはすごく反省しています。
ただ、松村くん、須田くん、小田嶋さん、日原くん、佐々木くんと、多くの後輩たちが勢力的に取り組んでくれ、あまり大変だったという記憶はありません。彼らはすごく大変だったと思いますが、本当に感謝しています。
どのような結果が得られましたか?
まず、表層10センチの下方移行については、以前の調査からさらに移行が進んでいることが確認できました。沈着後、3年半ほどで放射性セシウムの濃度が表層10センチでほぼ均一になっており、年間1.3センチの速度で下方移行が進んでいると計算されました。これまでに報告されていた鉱質土壌の移動速度と比べると、この速度は数倍の大きさです。
一方で、10センチ以下への移行、つまりすき床層より下への移行はほとんど起きていないことが分かりました。地下水などへ流出していく恐れは少ないと考えてよいと思います。この結果が他の水田についてもいえることなのかを明らかにすることはできませんでしたが、本研究の放棄水田のように非常に砂質でありながら透水性が悪く、雨上がり後しばらく水が溜まってしまうような放棄水田では同じことが起こり得る可能性はあると考えています。
また、この地点では表層の放射性セシウム濃度がほぼ均一になってしまった後に除染作業が行われました。そのため、除染後も放射性セシウムが30~50パーセントほど残ってしまっています。2011年6月に同じように表土の剥ぎ取りを行なった放棄水田では、約97パーセントが除去できたという例もありますから、本研究の放棄水田では時間が経ってしまったために除染の効果が薄れてしまったと言わざるを得ません。
結果を受けて感じたことを聞かせてください。
もし、他の放棄水田でも同じように放射性セシウムの下方移行が速いのであれば、例えば万が一またどこかで事故が起こってしまった場合に、水田を優先して除染を進める方が除去の効率が良くなります。本研究では1地点だけですが、その潜在的な可能性を示せたことは、今後の除染の方策を立てる上で有用な知見になると考えています。
今回の事故では、本当に限られた時間の中で、除染の方策など色々なことが決定されていきましたが、本来はもっと時間をかけて決めるべきだったことも多いと思います。各地に原子力施設がある以上、事故は起こり得るということを忘れずに、事故が起こってからではなくあらかじめ議論を重ね、決めておくことが必要だと感じました。
また、山木屋地区は2017年の3月31日をもって避難指示が解除されました。はじめて入った2011年の6月から、住民が避難した後の静かな街と様々な県警のパトカー、土曜日にも関わらず働く除染作業員の方々、行くたびに除染により変わっていく景観…と、刻々と変化する状況を目の当たりにしただけに、本当に嬉しく思っています。ただ、農家の方がこれまでものすごい汗水を流し、丹精込めて作ってきた土壌の一番豊かな表土が失われた除染後の水田で同じように農作業を行うことは本当に大変なことです。今からが本当の復興への道なのだと感じています。これからもそのような方々に何か貢献できるよう、尽力していきたいと思っています。
Takahashi, J., Wakabayashi, S., Tamura, K., Onda, Y., (2018). Downward migration of radiocesium in an abandoned paddy soil after the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant accident. J. Environ. Radioact. 182, 157–164. doi:10.1016/j.jenvrad.2017.11.034